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言葉


ボランティアで、4歳の子供とご飯を食べていた時。


その子は最後にお米をたくさん残したので、いろーんなお話をして一緒に最後まで食べる方法を見つけていた。


彼が言った「食べたらお米は喜ぶ?」


優しい言葉だね。


私はもちろん言った「喜ぶよ」


彼は「グレイゾーン」と呼ばれていて発達障害があるので園に来ている。


彼は濁音を発するのが苦手で会話の節々に聞き取りつらいこともあるけど、しっかり人の話が聞け自分の意見も言える。


運動の時間で木のポーズ(片足で立って木のようになるポーズ)をやっていた時、「お外に生えてる木を思い出してあんなふうにどっしり立ってみて」と話すとたちまちしっかりバランスを取る 想像力がたけている。


彼が胡座をかいてピンと背筋を伸ばして呼吸に集中するポーズをとると、先生が「こんな顔つき見た事無い」と嬉しそうに話していた。彼は左右を反対に認識している 右と言ったら左を動かす。いろんな場面で最初は左右をしっかり認識させようと思っていたが途中からそんな事はどうでもいい事に気づいた。


左右って誰が決めたのか? 実際私は小さい時、多分10歳くらいまで左右がいつもわからなかったしよく覚えている。 幼稚園の時の折り紙の時間、全く折り紙ができなかった。先生の折り方を真似しようとしてもできなく折れなかった事をはずかしいと思ったのをよく覚えている。 運動会の時、ダンボ−ル競争っていう種目で切った段ボールの中に入って四つん這いで競争するんだけど、私はここがどこだか分からなくなってゴールをできなかった事を覚えている。 多分言葉もしっかり使えるようになるのが遅かったし身体もとっても小さかった。 小学校の時は計算とか本当にわからなかった。

小さい子供を持つ親達は心配になる。 病院の先生が「もしかしたらお子さん、発達障害かもしれません」「あれ、うちの子同級生のあの子より言葉が遅い、もしかしたらうちの子グレイソーンで障害があるのかも」と悩んでたりしてるかもしれない。 そして自分のせいや誰かのせいにしたりする。

正常って何だろう? 人と同じように大きくなって言葉をスムーズに覚えて全て人並みに生活ができること? では人並みの基準は誰が決めたのか? それぞれの優しい言葉を使おう。学校の教師も一緒だし親も、私も気をつけているからあなたも気をつけよう。 でもね。 この気をつけようって頭がそもそも計算なんだと思う。

私はこの計算なく何もそんな事を考えずにただいつも優しくできるようになりたい。 計算をしたくない。

ナマステ



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