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Vipassana meditation

私は今回のインドの旅で素晴しい瞑想法と出会った。

『ヴィパッサナーメディテーション』



ヴィパッサナーとは『物事をあるがままに見る事』を意味し、自己観察による自己浄化のプロセス。(この道をダンマと呼ぶ)ヴィパッサナーは2500年以上も昔から伝わるインドの伝統的な瞑想法で、ゴーダマ・ブッタが再発見し人々に教えていた瞑想法。これは宗教ではなく「生きる智慧、術」この瞑想法を私は10日間学んだ。

10日間、人と話す事・人と目を合わせる事・ヨガ・宗教儀式・音楽鑑賞・インターネット・電話・が禁じられ、厳しい規律の中、、朝4:30~夜9:30まで自分の内面に集中する。幾度の食事と休憩を挟みながらずっと瞑想。決められた瞑想の時間、最長2時間、動く事・目を開ける事・寝る事が禁じられる中、最初の数日はひたすら自分の自然な呼吸に集中する。最初は30分もじっとしてられない。激しい痛みがあちこちへ走る、全身が痛い、、、、そしてそれらの痛みに対して「オブジェクトリー(客観的)に捉える」ということに集中する。「自我」というもの「自分の感覚」という捉え方をせず客観的にただそれを傍観する。最初の数日は痛みに負け、よく態勢を変えていた。

何故そんなことをするのか、、、、半信半疑のまま痛みと向き合いながら夜は1時間半「S・N.ゴエンカ氏」(サヤジ・ウ・バ・キン氏の伝統のもと、ミャンマーからこの瞑想法を伝えるために移住しこの瞑想法を学ぶための拠点を作ったインド人の先生)の講義を聴きながらその的確な答えが毎日帰ってくる。心の性質をじっくり観察する、心と体は常に影響し合っているということを頭での理解でなく実際に感覚することで本当の理解が自分にやってくる。そしてその痛みはいつか消え去る 何故なら瞬間瞬間ものごとは「生まれては消える」これを体で体験する。

4日目から少し瞑想法が変わる。最初の2日は「アーナパーナ瞑想法」3日目から「ヴィパッサナー瞑想法」に移る。自然呼吸の中、頭から足の先まで体感覚を研ぎすませ、センセーション(感覚)を感じる。どんな些細なセンセーションも見逃さずに感覚し、感じることができない部分があればそこへとどまり感じるまで集中する。そして その中で激しいセンセーション、滑らかでないセンセーションがあればそこに集中し客観視する。

・バイブレーションのようなもの・痛み・痒み・呼吸困難・動悸や吐き気・・・人によって違う感覚がやってくる。そしてそれが消えていくのを感じる。  これを「アニッチャー」と呼ぶ。最初のうちは「痛みなんて消えない」と思いながらそれらの痛みに耐えることができなかったが、瞑想を重ねるうちにこの痛みに耐え、痛みが流れていくのを体で実感できるようになっていた。

『アニッチャー=現われては消える』

私が1番乗り越えることが大変だった激しい感覚は「自分への対話」心の中でのおしゃべり、こんなに自分がおしゃべりだとはこれまで気づかなかった。

このおしゃべりが瞑想を遮断しようとしてくる・・・・このおしゃべりはようやく8日目頃から消えだした。

この10日という期間、参加している人それぞれにいろんな症状が出る。唯一先生とだけ会話が許されている。そしてみんな相談に行く。

私の質問「先生、感覚に集中しようとすると呼吸が苦しくなるんです」

先生の答え「それがセンセーションです。苦しい部分にとどまり、ただそれを客観視しなさい」

私はひどい小児喘息で大人になってヨガを始め、そしてだいぶよくなった。 ダンスをしている最中はどんな激しい動きでも喘息が出なかった。小さい頃からこれに気づいていた。 私の喘息は淋しさからくるものだった。

この10日間で喘息ではないけれど、それと似たような呼吸が苦しい感覚を久しぶりに味わい、それを克服した。 ・・・ 何故現在にしか焦点を合わせないのか。。 それは、過去に囚われると思い出を回想することによって執着を生む。 未来に囚われると物事に期待をしそれが叶わないと恨みや妬みとなる。

それらを「サンカーラ」と呼ぶ。

そのサンカーラを自分だけのものにとどめておけないのが人間の性質で言葉や態度で人に自分の苦しみを巻き散らす。そして人を傷つける行いをするや否や、それはその瞬間から自分へ帰ってくる。これが『宇宙の法則』ということをこの瞑想法から学んだ。自分の行いが何かを傷つけた分だけ必ず自分に戻ってくる。

それが「サンカーラ」瞑想中そのサンカーラを肉体で感覚し受け止め客観視し流れていくのを体感する。ブッタはこの瞑想法で悟りを得た そして人々にこれを教えた。ちなみにブッタは1人ではない。

今回インドのバンガロールでヴィパッサナーに参加したが、19歳~70歳代の男女、約85%インド人、他ヨーロッパ人と他のアジア人は私1名。10日間の瞑想の中、10日目から人との会話が許される。それは9日間「心の手術」と言われる程の大きな事が身体で起きている中、いきなり外の世界に触れるのはあまりにも危険なので10日目からリハビリ始まる。みんないろんな宗教を持っているがそれを横に置き、人間にっとって最も大切なものを学ぶためにまっさらになり参加する。嫌な事、ひどいこと、絶えきれないことがあったとする、それを克服しようとリラックスしてみたり、信仰する神に祈ってみたり、映画や食事、飲酒や喫煙、人に悩みを打ちあける。そしてそれは発散されてなくなった、、、かのように見える、、、けれど実際には顕在意識では消滅したけれど、潜在意識ではしっかり記憶されている。それは必ずまた自分にやってくる。消えてはいない。内側の心と向き合うまでそれは何回でもやってくる。

 「ヴィパッサナーはこれを克服するための瞑想法」

世界中にあるヴィパッサナーの運営は全てドネーション(寄付)でまかなわれている。金額を決めるのは自分の状況と自分。先生もお金をもらっていない。ブッタのようにこれを伝えるために働いている。そしてお金ではなく「感謝」という純粋な心でお返しをする。この「感謝」の瞑想法『メッタバーバラ』も9日目に学ぶ。

現在ヴィパッサナーメディテーションは世界各地で行われている。もちろん日本にもある。 日本人はオウム真理教のことや日本政府のの教育で宗教に大きな嫌悪感を感じる人が多いが、瞑想=宗教 では無い。 そしてこれは宗教ではない。そして信仰宗教はきちんとした道であれば特に悪いものではない。

是非機会があれば本当の『生きる智慧』を得るために時間を自分に与えてみてはどうかと思う。 http://www.jp.dhamma.org/index.php?id=1121&L=12

本当に素晴しい体験だったのでシェアしたいと思い、こんなに長い文章になってしまいました。

すべてのご縁に心から感謝して    大きな愛をインドより   

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