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プライドの変化

今年の日本帰国時に、私が昔お世話になっていたこの愛知県名古屋市の「パイナップルダンススタジオ」でヨガワークショップを開催しました。私が勤務していたのはこのベースのスタジオの名古屋・鶴舞になるのですが、ここでたくさんのことを知り成長させて頂きました。言わばたくさんの青春が詰まった名古屋の思い出の場所です。たくさんの想いがありましたが、ここのオーナーのじゅんじゅんさんと話し合って開催を決定したワークショップ。たくさんの方にお越し頂きました。嬉しいなー。







10才から日本舞踊の稽古に通っていたので、ダンス歴はすごく長く舞台によく出ていた10代と20代。日本舞踊・ストリートダンス・コンテンポラリーダンスこの3つのダンスをやっておりました。この当時はダンスが全てで毎日舞台の振り付けを考えていた日々。ダンスクラスで教師を始めたのは19歳の頃からで、この頃から子供達へ教える情熱は今と全く変わらない。当時教えていた子供達はすでに大学生や高校生になっています。基本的に私の根本的な理念はこの頃と今現在も一切変わっていなくて、「子供達が将来大人になった時に練習で培った根性と精神をどんな職業に就いても忘れずに生かしてほしい」この思いで、当時はダンスそして今はヨーガを教えています。これが私の情熱です。



この子たちの笑顔は今でも私の心の中で生き続けています。この写真は確か15年くらい前かなー。





そしてこれは2017年に開催したpeaceful yoga caravanでの子供達の写真。







現在はインドやネパール、ベトナム、タイでも子供達へ教えることをしています。 こんな感じで好きなことを仕事にし、好きなことしかやって来ていないのです。その好きや情熱が少しずつ規模の拡大がされて現在は世界に活動の場を広げているのですが、基本の心は全く変わらず同じ。

ただ、日本から活動の場を広げた理由の1つ「ダンサーとして仕事をして来た中で蓄積された余分なプライドを捨てたかった。」

これがあります。





ダンス時代からヨーガは練習してきたわけですが怪我がたえなかった。そしてダンス時代の怪我が完治されずにいた中でインドに通い出し、なぜ私に怪我が絶えないのか、また心の向く場所をフィジカルなトレーニングだけでは決して培うことができないと知ったのは、やはりインドですね。






インドのたくさんあるヨガの聖地に通った末に辿り着いて毎年帰るようになったこのインド・マイソウル。ここには世界中からトップクラスのヨガティーチャーが来ていて、シルクドソレイユ並みの身体能力を持った人々がたくさんいるわけです。でもそんなことよりも向き合わされること、それは「プライドという無知をこわす」です。どれだけヨガーサナ(ヨガの体位法)ができても心がついていかないと意味がない。だから余儀なく自分自身と向き合うことから始まり、向き合うことで終わります。

プライドを持つことは決して悪いことではないけれど、それを経験値として消化できなければ足枷になって次のステージには決していけない。私はこれを日本で感じて世界へ出ました。





ダンスをしている時も、ヨーガをしている時も同じ。このドリスティ(目の視点)1点、1つの場所にいること。


心を込めて


Nanakha Olatunj

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