top of page
検索

沖縄・久米島『球美の里』



沖縄・久米島の「球美の里」でのボランティアを終え、今は沖縄本島に来ている(2013年11月)。

久米島での滞在と人々との出会いは、私の人生の中で、とても重要な時間だったと思う。 「球美の里」では福島から保養に来ていた母子47名と、そこでサポートする人々と共に2週間過ごした。 

3・11が起こった時、私はその頃インドにいた。インドの小さな街、テレビも少ない地域だったが、ちょうどインド人家族の民家の1室を借りていたため、その家族と自分のパートナーと共に映像を見ていた。東北地方の津波で流される街と人々、福島の原発事故の映像が何度も映し出された。ブラウン管を通して見る映像は胸が張り裂けそうになり、悲しみと恐怖がこみ上げた。 そこで何もできない私、日本人に気遣うインド人家族。外に出れば、「家族は大丈夫だったか?」とインド人に声をかけられる。  そして言葉にならない言葉で励まされる。 「これは自然が起こしたことだから」・・と話したあと、「でも原発は人災だ」と口々に話していた。

あれから3年弱、やっと今回福島へのボランティアに参加できた。この縁を与えてくれたタイミングと私のパートナーに、笑顔で送り出してくれた家族と仕事仲間に心から感謝したい。 「球美の里」を主催されている広河氏とそこで働く人々、久米島の皆さんにも心から感謝している。そしてリスペクトしている。

ここで福島の問題を語るつもりはないが、「希望」を 日本に持ちたい。 今回の福島保養で感じた子供達を思う母親の心、そしてそれに甘える子供達の無邪気さ、土を触り、葉っぱを手にして喜んでいる子供達の笑顔、土や貝を口に持って行き喜んでいるベビーと、それを安心しながら優しく見守る母親達、沖縄の海に感動し本当に楽しそうに遊んでいる母子の姿。 福島の現実は厳しいもので、考え出すと眠れないほどだけど、力強い母親達と元気いっぱいの子供達を見て、私は諦めずに希望を持ち続けたい。自分にできることは本当に本当に小さいことしかできないけれどみんなが小さいことをやっていけば、やがて大きな波になる。

今回の保養に来ていた福島の母親達は、私とほぼ同世代だった。 この現実は、私達の世代で本当に起こっていること。日本で起こっていること、遠い世界の話ではない。自分の家族、地域に起こったできごとではないから・・ではない。 私達の行動であなたの子供達の未来が変わる。本気で子供達を愛しているのなら、是非自分なりの行動を、まずは現実、真実、起こっている事を知り、興味を持つ事をしよう。 国は安全だと言っているのに、なぜ保養場所がたくさんあるのか・・よく考えると疑問はたくさん湧いてくる。 その思考をストップさせずに常に感じていこう。

明日からまたパスポートがいる場所へ移動する。バックパックが25キロオーバーにならないように本を買い込んだ。多くの知識を身につけ多くの愛を見て、優しさにふれ、過酷さの中に本質を視る力を見につけて前に進みたいと思う。 私は、自由に動くことができる人生を自分自身で選んだ。 でも、それなりに責任を持っているそしてその自由の中で見た、本当のことを私の仲間達に伝えたい。

沖縄より愛を込めて

bottom of page